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marohashi_m 2023年01月22日(日) 17:04:51履歴
- 人間にとってコミュニケーションは、特に意思や感情、情報をやりとりするうえで欠かせない行為である。
- 我々異常者は、知識や情報・嘘偽りのない意見のやりとりを会話の主目的とする一方、健常者は感情を共有する目的、さらには自分にとって好ましい結果をもたらす手段として積極的にコミュニケーションを用いていると、事例を読むなかで思い至った。
- 健常者は、コミュニケーションを「関係構築の糸口」として用いることがある。(cf.問題の解決を目的としない会話も存在する)
- このような目的のもと会話が行われる場合、情報を効率よく短時間で伝える形式よりも、ある程度キャッチボールを行える形式のほうが好まれる。
- 健常者は、コミュニケーションを「その場を成立させ、相手との心地よい人間関係を維持する」為に用いることがある。
- 健常者が手段としてコミュニケーションを用いる際には、穏便に共感しあう姿勢を重視すると思われる。場を持たせるためには、会話内で虚偽の意見・感情の表明も厭わない。
- エミュレートにあたっては、嘘でもいいから適当な回答を用意する。
- もし自分が反対の考えでも「どうしてそう思うんですか?」と質問したり、「大変ですね」とうわべだけの共感をしたりすれば、会話としては一応成立する(完全でないことは理解する必要がある)。
- 時として、共感しない態度は敵対的にとられる可能性があるため、反対意見を表明する際は細心の注意を払う必要がある。(cf.日常会話の最中に逐一根拠を要求してはいけない)しかし適切な方策を用いて実行すれば、相手の気分を害することなく反対意見を表明できる。参考用語として「アサーション」「I(アイ)メッセージ」を参照されたい。一番大切なことは「相手をまず認めること」だ。
- 健常者、とりわけコミュニケーションを開始する者は、聞き手である我々の率直な考えを聞きたいというより、話し手である自分の考えや感情、ひいては自分という存在について共感/理解してほしいと思い発話することがある。
- エミュレートにあたってはそれを妨害しないよう、相手の発言中は自分語りや情報提供を抑え、積極的傾聴*1を行う。
- それが「情報伝達」の上で最も適格な言葉だったとしても、難解な語彙の使用は円滑なコミュニケーションを妨げ、聞き手に悪印象をもたらす。
- 日常会話においては「伝えたい内容が嘘偽りなく完全に伝わること」よりも「相手に心地よく話が伝わる(=会話が円滑に進む)こと」のほうがより大事だからである。
- どうしても難しい言葉を使う場合は、あらかじめ定義をはっきり述べる。
悪い例:
良い例:

今日寒いですね〜私新しいマフラーつけてきました!

そうですか(→会話終了)

私はしてこなかったですね、というのも・・・(会話ターンの横取り)

そのマフラー、ピッティ巻きにしてるんですか?(難解な語彙の使用)
良い例:

今日寒いですね〜私新しいマフラーつけてきました!

ほんと寒いですよね〜!マフラーめっちゃいい感じですけど、この色が好きで買ったんですか?(共感→相手の発話に興味を示す→会話のキャッチボールに繋がる発話)
- 話すことがなければ相手に質問する姿勢が大事。(cf.会話をする時は相手に質問したほうがいい)
- 立ち去る行為は敵対的・拒否的態度ととられかねない。
- 穏便に関係を築くため、あるいはその場を成立させるために、健常者は初対面同士でもある程度我慢して話をしている。
- 本記事の核となる事例。
人は感情を処理するために敢えて非生産的な会話をする場合があることに気づくべきだった
相手が気持ちよくなれるよう、共感し、質問を返して会話を弾ませるべきだった
悪い例:
良い例:
など

久しぶりじゃん!元気してるー?

・・・(その場を立ち去る→敵対的態度)
良い例:

久しぶりじゃん!元気してるー?

久しぶり!元気にしてたよ〜〇〇も元気?(会話を拒絶しない)

久しぶりだね!会うの何年ぶりかな?○○も地元で就職したの?(相手に質問)
など
道具的サポートというのは、問題を解決するために必要な資源を提供したり、その人が資源を手に入れることができるような情報を与えるような働きかけのことです。一方、情緒的サポートとは、勇気づけたり、同情したり、あるいは、ただそばにいてあげるというような情緒面への働きかけのことです。*2先述したように、人は感情を処理するためにコミュニケーションを行うことがある。その際に有効なのは、道具的サポートよりも情緒的サポートである。
- この事例では、自分の「老化に対する不安」を和らげる返しを期待し「若返りたい」という一言から会話を始めている。
思ってもいないことをお互いに言わせ合い、かりそめの情緒的満足感を得るこの行為は、まさに「手段」としてコミュニケーションを用いている好例である。
まずは不安などの感情に寄り添うべき。
悪い例:
良い例:
さらに良い例:
ケースによっては本当に道具的サポートを求めているかもしれず、悪い例で示したような対応が好ましいこともある。(cf:女性が問題解決を求めて相談してくることもある)
共感を求めているのか解決を求めているのかはコンテクストを読み解く必要があるため、情緒的サポートと道具的サポートの両方を盛り込む方法が有効であると考えられる。

急に車が動かなくなっちゃった・・・どうしよう

ライトはつくの?とりあえず業者に相談したほうがいいよ(道具的サポート:相手の気持ちには寄り添っていない)
良い例:

急に車が動かなくなっちゃった・・・どうしよう

大丈夫?!出先でトラブル起きるのほんとしんどいよね・・・(情緒的サポート)
さらに良い例:
ケースによっては本当に道具的サポートを求めているかもしれず、悪い例で示したような対応が好ましいこともある。(cf:女性が問題解決を求めて相談してくることもある)
共感を求めているのか解決を求めているのかはコンテクストを読み解く必要があるため、情緒的サポートと道具的サポートの両方を盛り込む方法が有効であると考えられる。

急に車が動かなくなっちゃった・・・どうしよう

大丈夫?!出先でトラブル起きるのほんとしんどいよね・・・(情緒的サポート)こういう時、ライトがつくか確認したら故障の原因が判るらしいよ!どうなってる?(道具的サポート)
一方、我々異常者は日々の会話において感情よりも知識・理論・情報・嘘偽りのない率直な意見を主にやりとりしがちであり、生産性や情報的価値に乏しい会話、不毛な議論を忌避する傾向がある。またコミュニケーションを手段として用いることが少ない
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このページへのコメント
健常者達は同じ文化の中では共通の連想パターンや感情のパターンを持っているので、お互い自分の気持ちのまま自然にコミュニケーションをすれば、別に相手の感情の情報が移動しているわけではないのに、同じような連想や思考や感情になり、しかしそれを「相手の気持ちが分かる」とか「空気を読んでいる」と自称している者が多い(ただし人間の中には本当に相手の思考や感情をを読む人もいる)
連想や感情のパターンが違う我々に対しても同じようにコミュニケーションをとろうとするが、当然全く嚙み合わないのである
ちなみに健常者同士でも文化が違う相手だと同じ事が起きる
そういうわけだから、人間には自分と違う感覚の人がいるのだということを理解して、行動に表している人とならば、健常者でもそうでなくても関係なくコミュニケーションが成立するのです
―「相手の気持ちが分かる」とか「空気を読んでいる」と自称している者が多い
共通の連想パターンを持つ健常者同士で,こう勘違いしているケース多いですよね
「当人の気持ちは究極,当人にしか分かり得ない」という事実を見逃しているところがあると思います
第三節の会話例の悪い例が正解の場合もあるので気をつけましょう
素晴らしい記事
私の人生もこれができればバラ色
軽い気持ちで読み始めたのですが、思った以上に自身のコミュニケーション能力向上に必要な情報を得られて、新たな視点が開けました。ありがとうございます。
健常者は記事のようなコミュニケーションを無意識に行う術を獲得し、我々異常者を排除するように出来ている。これは一種の既得権益や特権であり、彼らはそれを意識せずに過ごしている。